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くろすch

配信者名くろすが送信する日記的、報告的な内容のブログです

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2025/05/16 (Fri)

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ある日のお茶会11:観測

2009/09/12 (Sat)

来「おい最近ネタがないじゃないか。」

大学休みだからね・・・
んで遊び惚けてるからね・・・

来「ではもうすぐ大学も始まることだし頭の体操でもするか」

お手柔らかにお願いします。

来「観測(おそらく外部観測でいいだろう)の問題を少し。
一般的な学問、すなわち科学は世界を観測することからスタートする。
認識論ではなく物理世界ありきから始まるわけだな。」

まぁ考古学では遺物を、心理学では行動を分析することで、それぞれ過去の文化や人間の心理を把握するよね。
世界にある何かを人間が分析、観測することで世界を理解しようとしてますな。

来「そう、そこに落とし穴がある。
『世界にある何かを人間が観測する』、そこにはギャップが存在する。
例えば、夜空の星があるだろう。
キラキラ光っているが、あれは『現在』の星の状態ではない。
太陽系に一番近い星でさえ4.3光年離れているんだ。」

4.3光年、つまりその地点から光を発してここまで到達するのに4.3年かかるということ。
光っている星は、まさに『現在』光っているように思えるけど、4.3年前の星の状態なわけだね。

来「これは視覚的な観測の問題だ。
視覚は光という電磁波、
聴覚は音という振動する空気、
嗅覚や味覚は化学分子、
触覚は力学的な力、
五感はそれぞれこのような媒介を通じて行われている。
・・・ありのままの世界を切り取ることは不可能なのだよ。」

不可能であるにもかかわらず、ギャップの存在する観測から現在の学問体系は作り上げられた。
現在の学問体系を見直すべきである・・・って流れだと思うんだけど、
ありのままの世界を、人間の観測以前に存在する世界を見つめることに何か意味はあるのだろうかねぇ。
真実は確かにそこにあるんだろうけど、ギャップの話を言い出したらこのまま哲学に突っ込んで無限ループしそうだよ。

来「正直、だな。今回とりあげたはいいものの、観測の話はここまでしかわからなかった。
上記の内容などぶっちゃけかなり当たり前の話だ。問題はその先の『内部観測』にあるんだ。
これがどうも・・・わからん。」

僕の脳経由で表現されてるからなぁ来ヶ谷さんは・・・馬鹿でゴメンヌ
しかし観測の問題は半端なく難しいわ・・・

来「まぁ頭の体操にはなっただろう。
卒論を頑張るといい。」

そうだね。
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なつかしい顔-消失-

2009/09/03 (Thu)

久しぶりに過去の自分になりました。
今日、5年ぶりくらいに実家の友達に会いました。

なんだろう。少し泣きそう。
楽しかった。
懐かしかった。
なのにどうして。

「楽しいことはどうして終わってしまうんだろう?」

要因としては、僕が実家から離れ一人暮らしをしている、皆別々の道を進んでいる、社会人は明日がある、、、
っとかそういう理屈じゃないんだ!

どうして終わってしまうんだろう。
それが理、世の常なんだろうか。

なくしたものを手に入れて再び失った、そういうのが今の心境。

過酷だ。

・・・乗り越えなきゃ

聖地:美浜

2009/09/03 (Thu)


はい、迷惑極まりないです、本当にありがとうございました。

555de248.jpeg  










煙樹海岸はキレイでした。
夕焼けが映えてから撮影してもよかったかもね。

来年も他の場所は回らずここにだけ来よう。
イーモバの回線がもう少し強かったらいいのに。
人がいなかったら来年も夏影でしめるぜ。
・・・音痴ですけどね!

まぁ色々感ずるところはあったわけですが、
それは以下でつらつら述べることにしよう。


さて、先週から1週間実家に帰っているわけですが、
大阪と東京では空気が違うことをはっきりと自覚しました。

空気、具体的には
環境が違う→人が違う→人の考え方が違う→人の集団の振る舞いが違う→最初に
こんな感じで出来上がる社会の雰囲気みたいなものかな。

当たり前だけどやっぱり違ったんですよね。

自分はPCが側にあるのが当たり前、オタ文化は一般人に受け入れられつつある、とか
そういう考えを持っているんですよね。
確かに田舎の情報化は進んできているが、自然破壊までは行っていない。
目に見える、情報的な(オタも含む)文化が存在しない。
要は、冥土喫茶とか同人ショップ、ソフマップなどが目に見えるところに存在しない限り、
その社会は情報的にならない
のだ。

(・・・かなりいい加減に情報的って使っちゃったね。
オタ文化・情報技術・機械は身近っていう感じでとらえていただければと。)

で、だ。
AIRの聖地巡礼で、自分以外の巡礼者がいた。

・・・駅から速攻激写かよ!
・・・脚立もってくるなよ!
・・・シャッターチャンス狙って車の通り少なくなるの待つなよ!

まぁこれはどうでもいいんですけどね。
問題は・・・「異様」だということ。

オタクが気持ち悪いとかじゃない。
AIRが理解できないとかそういうわけじゃない。
いたる絵が(ry

観光地でもない町にカメラ撮影する人がたくさんいるんですよ。
この情報的ではない町の住人は基本的に、
・AIRを知らない
・聖地巡礼を知らない
・オタクの行動を知らない
でしょう。(美浜町の空気は情報的な空気じゃなかった。たぶん偏見じゃない。)

つまり住人には、聖地巡礼者が「ただの不審者」にしか見えないわけですよ。
正直聖地巡礼なんてしない方がいいと思った。
迷惑なだけだと思った。
自分たちは美浜町を見に来たわけでもなく、AIRの聖地を見に来たそんな不躾者にすぎないんだ。

まぁブログでわめいても仕方がないんですけどね。
この聖地巡礼という概念はこれからはクリエイターがしっかり考えていかないといけないと思う。
・どこをモデルにするのか
・その土地の住人の理解を得ているか
・問題が起きたときの責任をとれるか

てなわけで美浜町の皆さん申し訳ありませんでした。
・・・でも一年に一回は誰もいない煙樹海岸に来て夏影を歌うことを許してほしいです。。。

自分氏ねよ^q^

行動選択による結果の差

2009/08/06 (Thu)

Kanon問題
「あるキャラクターのルートに入ると別のキャラクターが不幸になる」(コピペ失礼)

これが納得できない、じゃあどうしようかって話。

1.ゲームなんだから当然だ

シナリオ構成上、「ルート」を作ることによりパラレルワールドが展開する。
A君がBさんを選ぶ可能性もCさんを選ぶ可能性も存在する故Kanon問題など当然のことだ。

・・まぁ納得いかないわな、特に恋だけでなく生死の話が絡むと。

例えば、Bさんを選ぶとCさんが死ぬ、Cさんを選ぶとBさんが死ぬ。

「ルート」は両者を並存させない。
いや、正確にはこれが「作品」であるがゆえ並存させることができないのだ。

上記の例で考えてみよう。
これはBさんもCさんも生命の危機にあるという展開である。

Bさんのルートに入りました。
Bさん助かりました。
Cさんも危なかったけどついでに助けることができました。

・・・これで次にCさんのルートやりたいと思いますか?
Bさんのルートをやることで、Cさんのルートのネタバレ満載になってしまいますよ。

並存はできません。 (※アニメという一本道作品だともちろん別ですよ)

ではBルート・CルートでのKanon問題をどうすればいいんでしょうか。

解決策1:気に入ったキャラクター1人だけやれ。
ゲームのプレイヤーという巨視的な視点を持つからこそKanon問題は生じます。
じゃあルートがあろうがあえて一本道、1つのルートだけでゲームやればいいじゃん( ^ω^)

解決策2:他キャラクターが助かる(自己解決する)と脳内補完しろ。
たいていのゲームでは他ルートのネタバレはしないはずです。
BさんのルートでBさんが助かるのは書かれているけど、Cさんが死ぬという描出まではないはずです。
あなたがCさんルート見ちゃったから勝手にCさんが他ルートで死ぬと思い込んでいるだけです。
不治の病であろうが何らかのことが起きてCさんが助かっていると脳内補完しなさい。
脳内補完と言ってもそれは100%虚偽とは限らなく、描出されていない以上可能性があるわけですからね。 

まぁこれらの解決策はゲームだからって理由で納得できない人向けかな。



2.現実でも当然だ

ちなみにだな、ゲームだけじゃない。
現実でもKanon問題なんぞ当然のことだ。

アナタが今全財産を持って発展途上国にボランティア活動しにいくとそこにいる何人かを幸せにすることができるでしょう。
今・・・ネットが使える環境にいますよね。ボランティアに行ってないですよね?
日本円1万円だけでも途上国では大金です。
アナタのボランティアに行かないでネットサーフィンをしているという行動の選択が、
途上国の人に幸せを与えないという結果につながります。

ちょっと考えればこんなの当たり前のこと。

「なんだこの主人公?さっきのルートじゃBさんといちゃついてたくせに今度はCさんといちゃついてやがるBさんかわいそうだろクソが」

イライラする前に己を振り返ればいいと思うよ。
似たようなことしてるから。恋愛関係のことじゃないと思うが( ;∀;)
(途上国うんぬんの揚げ足取りはいらんぜよ)



眠いのでこの辺でいいかな。
とりあえず自分はね、感情移入しきれてないと言われるかもしれませんが、ゲームだしあんまり他キャラクターの不幸など考えてません。

ただね、
泣けるルートA
泣けるルートB
泣けるルートC
があるとして、

「BよりAの方が泣けたな・・・」
「CってBよりひどいじゃん。このルート存在する価値あるの?」

とかね、1本の泣きゲー内でのルート同士の比較による感動の薄れは問題だと思う。
つまり全てのルートを同じレベルで泣けるものにするか、ルートシステムをやめて一本道システムにするか、
泣きゲーにはそれを望むと言いたいです。

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